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のぅは魚になっても泳げない

泳げない日々の記録

11月2日 不安の話

私が約2年間苦しめられ続けている、ある大きな不安がまたまた再発してしまった

のぅです、こんばんは。

 

 

私は心配性で、不安をたくさん持っているんですが、二年前からある大きな不安を抱えています。

まぁ、その不安の原因は自分にありますから、結局は自業自得なんですけど。

私が精神的に不安定になったのも、その大きな不安が原因だと思います。

 

 

不安が出てきた最初の頃は、その不安がずっと頭の中にあって、ずっとずっとずっと考えてました。

本当にずっと。

朝起きてから夜寝るまでずっと頭の中にその不安があって、それを考え続けてました。

 

おかげで、勉強も宿題も集中できなくなり、学校や部活でもぼーっとしてることが多くなり、家に帰ってもずっと部屋にこもってベットにうずくまって考え続けていました。

 

学校生活にも、家庭内でも、支障きたしまくりでした。

彼氏(Aくん)とも、その不安が原因で別れました。別れる時には、その不安が原因って言ってませんが。

言えるような事じゃない。

 

不登校になったのも、その不安の影響が大きいです。

 

「手首をカッターで切ろうとしたけど猫の引っかき傷くらいしか切れなかった」みたいな話をいつかしたと思いますが、それもその不安のせいで自分がとても嫌いになった結果だと思います。

 

とてもとても辛かった。

 

リストカットもどきも、家出もどきも、首絞めもどきも繰り返し、とても死にたかった。

 

 

その頃から、私は仏壇に向かってお祈りをする習慣ができました。

私は特に宗教とかはなにも入ってないし、家族も宗教には興味ないです。

 

ですが、もうすがるところが神様しかなくて、毎日仏壇に向かって手を合わせてました。

自分なりの祈り方のルールとかも勝手に作って、もうほんとに何かの宗教に入ってるみたいでした。

多分もう自分で宗教作ってそれに入ってたんですよね。

のぅ教っていう宗教。

 

神様しかすがる人がいなかった。

 

それで、その自分で作ったルールを忠実に守り続け、少しでもルールを破ってしまったり忘れてたりしてしまった時は、自分をめちゃくちゃ責めました。

責めて、責めて、責めて、自分を殴りました。

頭とか、顔とか、腕とか、足とか、お腹とか。

 

そして神様に謝りまくりました。

ルールを破ってすみません。って。

 

 

また、その時私は、「私の行動は全て神様が監視している」っていう強い思い込みがあり、道に落ちてた1本のタバコの吸殻を見て見ぬ振りしてしまっただけで、「あぁ、いま私は落ちてるタバコを見て見ぬ振りしたから神様からの罰があたって不安が現実になってしまう」って思って、来た道を引き返してそのタバコの吸殻を拾ったりしました。

 

罰が当たるのが怖くて、不安が現実になるのが怖くて、社会のルール、学校のルールは忠実に守りました。

ちょっと破ったり間違えたりしただけで、とても落ち込み、自己嫌悪に陥り、神様に何度も謝りました。

 

ずっと、ずっとその不安のことと神様のことで頭がいっぱいで、友達付き合いや勉強どころではありませんでした。

 

それでだんだん成績も下がり、クラスからも浮いてきました。

 

でも、当時はそんなことどうでもいいくらいに悩んでいました。

 

誰かに相談できればよかったんですが、他人に相談できるような内容ではないのです。

ずっと1人で抱え込み続けました。

吐き出せるのは仏壇の前で手を合わせている時だけでした。

神様に、「大丈夫ですよね?大丈夫ですよね?私はちゃんと毎日祈ってるし、決まりも守ってるから、あの不安は現実になりませんよね?大丈夫ですよね?」っていっつも心の中で言ってました。

 

 

1年くらいが過ぎると、「そんなに心配しても何も変わらないから意味無いよね」って思うことがなんとかできるようになり、四六時中不安で頭がいっぱいになることは少なくなりました。

ですがそれでも、ふとした瞬間にその不安が姿を現し、鼓動が早くなって胸が苦しくなり、息もあまり吸えなくなったりしました。

 

それで、その大きな不安と、学校や部活の不安や心配が積み重なり、もうどうしようもなくなって、頭がいっぱいいっぱいになって、学校に行けなくなったんだと思います。

 

 

休み始めて最初の頃は、家にいてもずっとその不安ばかり考えてしまって苦しくなってましたが、自分に「大丈夫、絶対大丈夫」って言い聞かせたりして、最近ではずいぶんと楽になっていました。

 

また、熱中できる趣味とかも見つかり、その不安について考える時間はとても減りました。

 

でもやっぱり、ふとしたときにその不安が再発してしまいます。

そしてその不安で頭がいっぱいになる…。

 

 

内容が、他人に話せるようなものではないので、親にも先生にも隠し続けています。

とてもきつい。

 

本来なら、もうその不安については考えなくていい時期なのです。

でも考えてしまう。

 

 

あーーー。

きついよ。

ブログにしか、書けないのです。

大きな不安を持ってることを。

ほんとうは、もっともっとその不安のことをブログで書きたい。

でも、どう書けばいいかわからないんです。

自分が苦しんでることは、これくらいの文字数で収まるようなことでは無いはずなのに、書こうとすると何も書けない。

 

このブログを読んでくれた人に、伝わったかな…。

伝わって欲しい。

それだけでなんか救われた気分になる。

 

ほんとうは、口でちゃんと沢山話したい。

でも、私はうまく話せないし、他人に話せるような内容でもないから、抱え込むしかない。

 

私は、色々不安とか嫌なこととか辛いこととか抱え込むのは得意(なはず)だし、いままでも沢山抱え込んで来たんだけど、これだけは…きつい。

 

 

そもそもこの不安も、自分が原因なんです。

だからもうこんな自分死んでしまえと思うし。

 

もう嫌だ…。

 

 

昨日くらいから、またその不安で頭が埋め尽くされています。

 

こんなときは、もう音楽も聴きたくないし、サイクリングや散歩も行きたくないし、食欲もない。

 

早く、この不安がなくなって欲しいです。

 

この不安が無かったら、私の人生は全然違うものになってたと思う。

断然いい方に。

 

早く、不安が消えて欲しい。

 

 

もし、不安が現実になってしまったら私はどう

なるんだろう。

どうすればいいんだろう。

 

多分死なないと思う。

親と祖父祖母に 今までのことを話して、関係者にも話して、そして私の貯金を全部崩してもいいから、その起こってしまった不安を解決すると思う。

 

私が死んでも、解決しないから。

私が死んだら、その責任は親や祖父祖母が取ることになる。

それだけはしたくない。

 

 

もし不安が現実になってしまったら、私の貯金を全部崩してでも、解決しよう。

よし決まり。

それが決まったら少し楽になった。

 

 

…でも私の場合いつもそんな感じ。

不安で頭いっぱいになったと思ったら、「大丈夫!なんとなる!」って思って不安が軽くなり、でもまたしばらくしたら不安になるんだ。

 

今は不安が軽くなってる時間です。

 

 

話聞いてくれて、ありがとうございました。