<meta name="auther"content="NOU"/>

のぅは魚になっても泳げない

泳げない日々の記録

休み時間のこと

小学生の時は仲の良い人がいなかったので休み時間はいつも一人だった。教室には人がたくさんいてきつかったので、休み時間を教室で過ごすことは少なく、大抵は図書室で小説や詩を読んだり、窓から外を見ていたりした。

図書室が閉まっている時はよく外で遊んだ。石像にドングリや木の実をお供えしたり、木や草や苔と話したり、歌いながら歩いたり、あとは鯉とか石とかを見たりしていた。校庭の隅っこに生えていた木は、幹に毛が沢山生えていて、毛をめくるとその下に顔のような皺があった。目を閉じて口をへの字に曲げている猿みたいな顔だった。その木に、赤い実を食べさせたり、顔を撫でたり話したりしていた。

校舎裏の塀に小さな苔が生えていて、その上に草が生えていた。よくアニメとかで「よう、野良猫、お前もひとりぼっちなのか?おれもさ…」みたいなのあるけど、あれをその草でやっていた。草を撫でながら「君も一人なんだねぇ。一人は寂しいねぇ。1人でも強く生きてて偉いねぇ」と言っていた。あと苔も撫でていた。あとは学校で飼っているウサギやドジョウを見たり、学校内をうろついたり、校舎裏に椅子が捨ててあったからそれに座ったりしていた。

学校から帰ったら、借りて来た詩をよんだり、庭で遊んだり、木の枝を振り回して草を切ったり、夕焼けや雲や星を見たりしていた。つくしやタンポポや砂でおままごとをして、「たいようご飯」っていうのを作ってて、それを母がずっと携帯の待ち受けにしていたのを覚えている。母のガラケーにはあの頃のわたしや母が見ていた景色が沢山詰まっていたのに、いつのまにか壊れて動かなくなってしまっていた。auに持っていっても直らなくて、いまも電源がつかないままで部屋にある。

 

小さい時には確かにあった日々の煌めきが今はもうほとんどない気がする。世界から光が徐々に失われていっている。今年は、今年は何もしていないようだった。生活や予定に追われて、気がついたら12月だった。まだ9月頃かと思っていた、わたしは2018年の秋を一生知らないまま死ぬのか、いやでも夏も生きていなかった気がする、そういえば春も。今も。

もっと自由に生きたかった、自分を大切にしたかった、自分の時間を生きたかった。中途半端に大人になってしまったのがいけなかった。ずっと小学生でよかった。いつまでも四つ葉のクローバーを探していたかった。四葉のクローバーを小川に流して、それを追いかけて遠くまで来てしまうような夕方が見たかった。悲しい時はランドセルを背負ったまま土手でずっと座っていたかった、ずっと、ずっと座っていたかった。

 

今日は初めて雪が降った。絵の練習をしているけど全く描けない。昔から絵も字も下手だったからもう無理かもしれないと諦めかけている。