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のぅは魚になっても泳げない

泳げない日々の記録

2月2日の日記

バイトの休憩時間、一人になりたくて、ゴミ置き場の横にある物置に入りました。中から扉を閉めるとほんのり薄暗く、外の喧騒もどこか遠い夢のように思えました。物置は横3m、奥行1.5m、高さ2.5mくらいの直方体で、中にはパイプ椅子や机、セール用ののぼり旗などが沢山おいてあって、それでもほどほどに広く圧迫感はありません。手頃な机に腰掛けてしばらくじっとしていると、だんだん自分はずっと前からここに置いてあるひとつの“もの”であるような気がしてきました。いつか誰かに使ってもらえる時が来るのをしずかにしずかに待っているひとつの“もの”。そう考えると本当にそんな気がしてきて、さっき角に思いっきりぶつけた右の手の甲が赤紫色に、殴られた跡みたいになっていることさえ忘れてしまうようでした。物置の中の空気は静かに澱んでいて、埃っぽいコンクリートの匂いが心地よく、一生ここにいたい、このまま来るはずのない誰かを待っていたい、と思いました。風邪の時に使う水枕のような冷たさが丁寧に体を染めていく様をじっと眺めていました。氷の中はこんな感じかもしれない、とも思いました。

 

わたしが初めて学校を休んだ日、その日はいつも通り制服で電車に乗っていました。学校に行きたかったことなんて一度も無いですが、なんだかいつもより嫌悪感が酷く、高校の最寄り駅に近づくにつれ恐怖で泣きそうになってしまい、結局駅で降りられずに終点まで行ってしまいました。終点で降り、途方に暮れ、途方に暮れ飽きて、スマホで地図を見ると近くに大きな図書館があることが分かったので、そこに行きました。しかし、当然ですが図書館に行っても事態が好転する訳もなく、学校を休んでしまったことがまるで大きな罪を犯してしまったかのように心を重たくし、人を殺した後の気持ちってこんなかも知れないなとぼうっと考えることしか出来ませんでした。本を開いても何も読めないので、写真集を開いていましたが、何も分かりませんでした。ただただ時間が過ぎていきました。

11時頃、お腹がすいたのでお母さんが作ってくれたお弁当を図書館の外にあるベンチで食べました。お母さんはわたしが学校で友達と笑い合いながら食べる姿を思い浮かべてお弁当を作ってくれたんだろうなと思うと、申し訳なさと不甲斐なさと羞恥心と自己嫌悪とその他諸々の感情が溢れに溢れて涙が出てきました。でも学校に行ったとしても友達はいなくていつも放課後に一人で痛みかけのお弁当を食べていたし(昼休みはお弁当食べずに図書館や外にいた)、今更何を泣いてるんだろと少し笑って、泣きながら食べて、泣きやんで、しばらくベンチに座っていました。

その後はまた図書館に戻り、閉館まで過ごし、家に帰りました。帰りはバスに乗りました。雨が降っていて、窓の水滴にたくさんの色が映っていました。

 

もう今は心も大丈夫になっていますが 、たまに、あのベンチに今でも昔の自分が座っているような、そんな気がすることがあって、そんな時はお参りに行くような感覚でベンチに行きます。昔の自分に会いにいくとか、あの頃の自分が見ていた景色を見にいくとか、そんな感じです。今日のバイトは苦手な人と同じシフトで、心がかなりしょげていたので、昔の自分に会いたくて、行くことにしました。

 

一度家に帰り、5時半くらいに自転車に乗って家を出ました。夕日が綺麗でした。そしてあっという間に暗くなりました。途中の自販機で温かいミルクティーを買いました。100円でした。川に沿ってずうっと進みました。図書館に着いたのは夜になってからでした。ベンチからは川の向こう岸で光る沢山のビルの明かりが見えました。あの時もこんな景色だったのかな、と思いましたが、思い出せませんでした。しばらくベンチに座って景色を眺め、「大丈夫、意外となんとかなってるから、そんなに心配しなくていいよ、大丈夫だよ」と昔の自分に声をかけて、自転車に乗って帰りました。

帰る途中、好きだったひとがケンタッキーで一人で勉強しているのを外から見かけました。話しかけようかな、と思ったけど勇気がでなくてやめました。

手の甲の怪我に春先の夜風が少し沁みました。

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