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のぅは魚になっても泳げない

泳げない日々の記録

赤い紐/愛

赤い紐

小学生の頃、近所に住んでいた二人のお姉ちゃんと一緒に登下校をしていた。合唱部に入っていた二人はいつも歌いながら歩いていて、わたしはそれを聴いていた。楽しかった。二人は歌うことが心から好きだから歌っていたのかもしれないし、わたしがあまりにも喋らないせいですぐに沈黙してしまい、それが嫌で歌っていたのかもしれない。でも歌っている理由なんてどうでもよくなるほどに二人の歌声はとても柔らかく、春みたいだった。

「こんなに沢山の歌を知っていてすごいな、いいな。わたしも4年生になったら絶対合唱部に入って歌をいっぱい覚えよう。」

あの頃は確かにそう思っていたのだが、4年生に進級してからは結局両親が小学時代やっていたからという理由でバスケ部に入った。5年生の時に学校に行かなくなって、バスケ部も自然に辞めた。

二人のお姉ちゃんはわたしが3年生の時に卒業と同時に引っ越して、それ以来一度も会っていない。

 

卒業式を間近に控えたある日、お姉ちゃんが「大人になっても残ってるといいね」と言って、通学路の途中にある金網に、たまたま持っていた赤いあやとりの紐を結びつけて笑った。それからそこを通る度に赤い紐を見るのが習慣になった。それがほどけない限りお姉ちゃんたちとも繋がっている気がした。今思うと結婚指輪に似ている。結婚したことないけど。

何ヶ月も風雨にさらされ続けた赤い紐は次第にボロボロになっていったが、それでもほどけなかった。紐を引っ張ると金網と紐が擦れ合いギュイッギュイッと鳴って、それが少し嫌だった。日に焼けて色が抜け、ほとんど白になってしまった紐が逆に嬉しかった。わたしも真似して紐を結んでみようかと思ったけどやめておいた。思い出はひとつで十分だから。

中学生になり、その道を通らなくなり、覚えるべきことが増え、覚えたいことも増えて、紐のことは次第に忘れていった。

 

 

この前久しぶりに地元へ戻った時、当時の通学路を辿って景色の違いを楽しんでいたら、紐とそれに纏わる思い出が走馬灯のように浮上してきた。

あれから7年近く経ってるし多分もう無くなっているだろうな、という諦めの気持ちとは裏腹に、体はすでに走り出していた。心拍数が上がる。顔が赤いのがはっきりと分かる。暑いのはきっともうすぐ春が終わるからだ。好きな人と待ち合わせをしている時と同じ表情になってしまう。この角を曲がると金網がある、という場所まで来て、急に足が止まってしまった。

もし、もし紐が無かったらどうするんだろう。いやいや、どうもしないよ、無かったね、そりゃそうだよねって思うだけ。何も変わらない、今まで忘れてたんだからさ、思い出さなかったことと同じだよ。期待しちゃダメ、いつもみたいに、風景を楽しむような格好で、視界の端の金網の隅に赤い紐を見つけるか、何も無くてそのまま通り過ぎるか、どっちかなんだから。大丈夫、よしGO!!

自分にそう言い聞かせ、角を、曲がる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そこには、何も無かった。赤色も、紐も、金網も、その向こうに建っていた物置みたいな小さな小屋も、小屋の窓に映るはずの自分の姿も、何も無かった。

ただ、草と空だけがあった。

足元には金網の基礎だったコンクリートが並んでいた。

 

わたしはまだ大人になんてなれていなかった。

 

 

 

生活リズムが終わりを迎えている。アルバイトの時間帯が日によってバラバラで、朝の6時から昼過ぎまでの日と、夕方から夜の10時までの日がランダムに来るのが原因だ。でも今年は抑えめにしないと年収103万超えてしまうので(去年は5月末から入ったので稼ぎまくっても大丈夫だった)、週2〜3日は休みがあって意外とゆっくり生きれている。

普段寝ている時間に起きていたり、起きている時間に寝ていたりすると知らなかった世界の表情に触れることがある。

朝の浴室が病的に白いこと。午前5時でも星は見えるし、ベランダの冷たさは本物だったこと。投函される新聞の音に静寂を知ること、眠いのに寝ない夜の、心臓と目と脳が無理をしている感覚。口が渇いている。夜の風はもう夏なこと、朝と夜では街の匂いが恐ろしいほど違うこと。晴れた日の14時に昼寝をする瞬間は微笑んでいること、18時に目が覚めた時の気だるさと汗は思い出になること。

夜が落ちるのを、空が白むのをただただ眺めているのがこんなにも幸せだということ。

進路なんて知らないし、将来の夢とか気持ち悪いし、どうやって生きればいいのか全然分からないけど、こうやって自然を愛して愛でて愛おしんでいるだけではいけないのですか。明日死んでも構わないから。